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おやきの歴史
ようこそいらっしゃいました。ここでは(おやき)の歴史を載せています。
ゆっくり見て行ってください。
おやきは信州の郷土食です。昔から主食、おやつ、携帯食、全てに愛用されてきました。
元々、穀物をすりつぶした粉に水を加え、生地として使用するのは全世界で行われていることです。小麦、米、大麦。その土地で収穫できるもので生地を作ります。最初はその生地を焼いたり、また形を変えたりしながら(麺など)食してきましたが、次の段階では具を包むと言う工程を一つ増やすようになりました。少しでも食事を美味しくしようと一生懸命考えたのでしょう。
信州と言う土地は南北に長くなっています。南は雪もあまり降らず穀物、野菜等が豊富でしたが北部は山ばかりで豪雪でしたので収穫できるものはそば、山菜、などしかありませんでした。(このため、おやきは北部を中心に素朴な食事として残る様になりました。)
北部では米や小麦などはあまり出来ず、生地に出来るのは大半がそばでした。中部、南部では米や小麦などで生地を作りました。このように、何故その食材がそこで使われたかと言うのは極端な話、それしか取れなかったからと言うのが主な理由です。
また当然に、生地をそのまま食べるよりは、おかずの残りを入れて食べたほうが、味も変化するし、無駄がないと思ったでしょう。そこで登場するのが囲炉裏です。
囲炉裏は暖房でもあり、調理コンロでもあり、コミュニケーションの場でもあり、あらゆる生活の中心であるわけですが、その灰の中に入れるとオーブンレンジにもなるのです。
そして生の包んだおやきを灰の中に入れると生地と具が加熱され、美味しいおやきの出来上がりです。
もしすぐ食べなければ囲炉裏の隅っこに入れておけば保存にもなります。ちょっと小腹が空いたら灰をほじくっておやきを出します。
灰の中なんて汚いと思うかもしれませんが燃料は昔の科学物質に汚染されていない自然の木です。しかも絶えず熱の伝わっている状態ですから菌なんていません。完全な熱消毒です。
裕福な土地では甘い餡などを入れて生地も工夫をし、饅頭などになりますが、信州で、特に北部でおやきが昔ながらの味で今も受け継がれているのは、最近まで北部地方が生活するのに大変な場所だったからではないでしょうか。